La douleur passe, la beauté reste.

 お久しぶりです。突き指しました。aとかが打ちにくいです。

 

 今回は森岡毅「苦しかったときの話をしようか」を読み直して感じたことを、あまり議論を深めすぎない程度でメモ書きしようと思います。

 

 書くのはすべて疑問に思ったことなのでイメージが悪くなってしまうかもしれませんが、非常に良い本で、また読み返したい本のひとつになりました(前読んだ時より自分に刺さった)。自分のキャリアの描き方について具体的なアドバイスが得られますし、熱い激励メッセージも多々あります。ぜひ読んでいただきたいです。実際わたしもこの本を読んで自分のやりたいことをブラッシュアップしましたし、自分のBrand Equity Pyramidも作ってみました。あと子供がほしいです。

 

 

 まずは社会のこと。この本では自分の強みを見つけ磨き続けよう、ということが述べられていて、その強さとは社会・企業における強さです。「おわりに」にも、努力できないなら「資本主義社会のルールに則って、もたらされるインパクトを甘受する覚悟だけは持って」生きればよいと書かれています。

 仕方ないというのはそれはそうとして、それが本当に人の幸福にとって良いことなのでしょうか。

 まずこの本では、自分の強みとなる部分は自分が好きなことを突き詰めると見つかるもので、好きなことについては努力できるだろう、と書いてあります。実際そんな気がしますし、希望が持てる主張です。しかしここで本当に好きなことについても努力できない人がいた場合、「その人は何も努力できないということ」になります。そして努力ができない=強みが生まれないので、特にすき家ユニクロも値上げする永遠の不況の世の中では、前述の通り厳しい生活を送らなければならないでしょう(学生もお金ない!値上げしんどい!)。

 人間の一面だけを見てその人の価値は決まってほしくありません。しかしたまたま「努力ができない」という特性で生まれてしまったらそれだけで苦しい生活を送ることになる。わたしはそうあってほしくないなと思います。「努力するかどうか選ぶ自由」がもう少しあってもいい気がします。*1

 同様に強さというのも「社会で必要とされればされるほどよい」という構造になってしまいます。つまりたまたま社会で必要とされる能力が高く生まれてきた人がそれだけ高く評価されるということです。

 研究職の給料が低いとはよく言われますが、逆に社会に直接的に役に立つわけではないスキル(≠研究内容)を持つ人がお金をもらえているのは特殊な状況であり、社会から見たら投資の側面があります(研究者のみなさん、応援してます)。

 オリンピック選手なども特殊な構造で、広告効果があるからスポンサーがつくという面が大きいでしょうから、これも単純にその人のスキルで稼いでいるわけではありません。例えばどれだけ速く走れたとしても、そのことで直接誰かの役に立っているわけではないので、足の速さ自体ではお金になりません。

 これは要するにメリトクラシーの話ですね。サンデル教授の本を読む必要があります。*2

 

 次に教育について。これも「おわりに」から、「日本が生き残る道は、社会を活性化させる人材を輩出する構造を早く強化することだ」とあります。

 その通りだなと思います。わたしも、もっと教育をよくすることでもっと多くの人を幸せにすることができると思っていて、Edtechに興味を持ったりもしていますが、将来はその方向のキャリアは進まない気がします。いつか何らかの形で関われたらいいなと思います。

 しかし先ほどの社会の話を読んだ賢明な読者の中には、この引用部分に似たような匂いを感じ取った方もいるのではないでしょうか? そうなのです、あの話の延長線上で考えると、ただ社会に適合するための教育をすることが本当にいいことなのか?という疑問に行き当たります(実際には、この記述にはスキルの面以外に「自分のキャリアについてもっと早期から考えるべき」という主張も含まれていると思います)。

 そうすると現在我々が受けている(た)教育も、社会に都合のいい人材に育て上げるためのものだったのではないかという気がしてきます。ではそもそも教育とは……。*3

 

 最後にマーケティングについて。著者の森岡さんはユニバーサル・スタジオ・ジャパンハリーポッターを誘致するなどの大胆な政策で業績を一気に伸ばしたマーケターとして大変有名な方です。「おわりに」にも、日本のため、企業のためにマーケティングの技術は極めて重要であると書かれています。

 そこなのです。Bullshit Jobという言葉をご存じでしょうか。ざっくり言うと、「社会の再生産にはほとんど何の役にも立っていないのに資本主義の構造をよく捉えているので高い給料を得ているクソみたいな仕事」のことです。「人新世の『資本論』」では脱成長の文脈で言及されていました。*4

 マーケティングもそれに該当します。マーケティングはマーケット(市場)を分析して、企業の業績が伸びるように方針を決めるのが仕事です(専門外なので詳しくないです。間違っていたらすみません)。「僕は君たちに武器を配りたい」では「顧客の需要を満たすことができる人」と説明され、これから生き残れるビジネスパーソンの一つのパターンとして一つの章が割かれています。*5

 社会で企業が生き残るために重要なスキルなので重宝されるのはわかるのですが、そもそもなくてもいい職業ではないですか? まあ社会を変えることは難しいので現状仕方がないことではありますが、もっと人類にとって、各個人にとって大事なことがあるんじゃないかなと感じてしまいます。*6

 

 

 3つと言いながら結局全部社会のことでしたね。ここで考えるのをやめるからいつまでたっても凡人なんだろうな~。久しぶりに本を最後まで読めて気持ち良すぎだろになってます。もう一度言いますけどすごくいい本でしたよ。ぜひ。

さて勉強しないと

 

www.amazon.co.jp

大学の授業

 今大学に外部の講師を招いて講演してもらうタイプの授業を遠隔で受講しています。

 わたしの大学院(読者諸賢のなかにはどこか知っている人も多いでしょうが)は結構産学連携……というよりビジネスを重視する風潮があるように思います。「大学は就職予備校ではない!」という意見の逆を行くような大学ですね。その一環で、外部の産業人や公人を招いて講演してもらい、「企業における研究開発」「ベンチャーマインド」などといったテーマで授業が行われています。

 

 どうなんでしょうねこれって……と思っています。こういった授業、あるいは学生のうちから社会に出てからことを意識することの長所は、なんにせよ就活におけるビジョンを固めやすいということがあげられます。ビジネスのことを考えて、またそれを意識して研究するのですから当然です。この試みを大学において実施することにより、大学は「他の大学では聞けないビジネスの現場での貴重な話が聞ける!」というアドバンテージを獲得し、ブランド力を強化することができるでしょう。実践的な学びだ!ということですね。

 でもそれって本当に必要なのでしょうか?繰り返しになりますが大学は就職予備校ではないんですよね。社会に出てからのことを考えさせるよりも学問を学び深めることの方が先に来るべきではないかと思います。企業にふさわしい人になるのは企業に入ってから企業がそれぞれ勝手にやるべきではないでしょうか。

 そもそも大学と企業は立ち位置が全く異なりますし、就職するために大学に入っているわけではありませんから、大学で企業に入るにふさわしい人材にしようというのは余計なお世話です。そもそも就職したくないですし。

 もちろん多くの人が卒業後就職するので、学生に自分の立ち位置ややりたいことを考えさせるのは大学の「サポート」として有益でしょうが、それを前面に出す必要はなくて、聞きたい人にだけ提供すればよいのではないでしょうか。

 大学の力と企業の力の相関はよく指摘されることであり、政治的には企業が弱いのは問題だから大学に何とかしてもらおうということなんでしょうが、考え方が逆です。大学が大学のなすべきことを果たし力をつけていくことがまわりまわって企業の力を育てるのでしょう。目先のことにとらわれているうちに余計にこの国はダメになっていきます。

 社会を構成するのは個人であり、その個々に目を向けなければなりません。資本主義でうまくやっていく企業を作るための大学なんてなんともディストピア的な概念です。大学は必要なものをきちんと提供して、あとは勝手にさせてほしいと思います。本来、ただそういう風潮があるだけで別に大学を出てすぐに就職する必要もないわけです。個人が好きに幸せになれる社会になればいいなと思います。

 

 またしてもありきたりな議論を繰り広げてしまいました。

 最近体調がよくありません。体がだるくて頭もぼんやりしています。朝起きようと思っても気づけば昼過ぎ、半日ほど寝続けています。なんでなんでしょう。結構困っています。ヤクルト1000とか飲んだ方がいい?ご意見お待ちしています。

 このままでは人生何ともなりません。他の人より使える時間が短いのですから、起きている時間をほとんど研究や授業に費やさないと要求される成果は出ないですが、そんなことでは人生辛いじゃないですか。それでバランスをとれば他の人より成果が少ない、さぼっているという評価が下されるわけです。費やした時間が実際少ないのですから反論も困難です。

 体力は確かにないですよね……でも寝てたらジムに行く時間もないんですよね。

 やっぱり大学邪魔ですね、自分にもたらすメリットが費やす時間と費用に対して小さすぎます。分野のズレもあって、貴重な起きている時間にやりたいことが他にたくさんあります。結構真剣に進路について考えているところです。中退も含めてね。

 

 それでは次の記事でお会いしましょう。Au revoir.

真・生活の気づき

 こんにちは.

 

 最近は週末のドラゴンクエストコンサートに向けて大急ぎでドラクエ7を進めているので全然時間がありません。なのに研究や授業、バイトはいつも通りあるので忙しいです。さっき教室で「原状復帰」と書いてあるチラシを見かけて高校の文化祭についてのエントリーも書こうかと思いましたが時間がないのでまたの機会に。今はオンライン授業を聞きながら記事を書いていて、これに関連して大学に企業人や公人を招いて講演してもらうことについても書こうかと思いましたがこれもまたの機会に。

 ドラクエ7、面白いです。みなさんやってください。始める前はドラクエを始めたら本が読めないしとか考えて少し尻込みしていましたが、今となっては楽しくて仕方ないです。一日中ドラクエのことを考えています。

www.jp.square-enix.com

 と言いつつ、YouTubeを見ている時間もあります。最近は「雷獣」をよく見ていますね。おすすめです。地元ノリ✖高学歴✖お笑いみたいなチャンネルです。

雷獣 - YouTube

 

 さて、以前「生活の気づき」という記事を書きましたが本題にたどり着かなかったので、書きます。一応こちらの記事だけでも読めます。

 

sonorite3400.hatenadiary.jp

時間がないので簡単に言うと、日々の生活の中で気づいたことはメモしていこうということです。自分だけの知恵の蓄積を生かすことで現状を改善していこうというものです。このアイデアは以前読んでいた本にも書いてありました。その本はPDCAに関する仕事効率化の本であり、人生というスケールでの問題解決に役立つと思います。

 例として、わたしの気づきをいくつか書いていきます。普段の生活で気づいたことの他に、本を読んでいて大事だと感じたことなどもメモしていますので、どこかで聞いたこともあるかと思います。説明し始めたらキリがないし、結局は自分で気づいたこと・発見したことでないと実感が沸かないだろうということで、詳細は省きますので好きに解釈してください。それを本にして出版しているビジネス書や自己啓発本は多いですから、それを自分で作ってしまえということになりますね。みなさんもやってみてください。

 

  • 質問が浮かぶことは理解の証
  • 日本文化と日本語を忘れるな
  • 若いうちに資格を取って大都市に出る
  • Get the Easy Stuff Right
  • Serendipity is a Function of Courage
  • Like Someone Who Likes You
  • 斜に構えない方がよい
  • 持っているものの価値と人の価値を同一視しない
  • 勉強する前に部屋を片付けておく
  • 自分のことを説明できるようにしておく
  • 2200年を考える
  • 根本的な目標を意識し続ける
  • 全力を出さないとフィードバックが効かない
  • オーラが出るまで自分を磨く
  • 当たり前レベルを上げ続ける
  • 人に限りなく親切にする
  • 機会の多い環境に身を置く
  • 毎日絶対に勉強する
  • 元気に挨拶する
  • 自分で基準を持つ
  • 肩書きに負けない
  • 人の力を信じる
  • 上機嫌でいる
  • 一番調子がいい時の自分を再現する
  • 毎日行動を振り返り毎日更新する
  • 積極的に責任を持つ
  • まず仮説思考で動いてみる
  • やることは徹底的に分解する
  • 基本的にすべて今手を付ける
  • 過去からの連続で今を捉える必要はない
  • 生き方の規定に自覚的になり自分のスタイルを確立する
  • 支配的な価値観を対象化する
  • 大きく考えて小さく始める
  • Raison d'être を考える
  • 今急がなければ後で急いでも間に合わない
  • 逃げることも一つの勇気
  • 自分にしかできないことを見つける
  • ブレない軸と無根拠な自信を持つ
  • 時間に追われないように先手を打つ
  • 巨大な個性を身に着ける

 

参考:

www.amazon.co.jp

低気圧の夜に

 こんばんは.

 

 今回は日記のような感じなので特にテーマはありません(いつもそう)。今日は雨、昨日も雨でした。雨は嫌いです。嫌いすぎて特大サイズの傘を愛用しているのでよく笑われます。そして低気圧だと体調が悪くなります、これは共感してくれる人も多いはずです。ただでさえ花粉症と副作用と五月病で何もできない人間になっているというのに。勘弁してほしい。「あらしのよるに」、懐かしいなあ……。結構いい話だったと思いますが今は昔。

 ちなみに低気圧ではなく低血圧はhypotensionといいます。TOEFLの単語帳に載ってました。低血圧といえば、この前健康診断で看護師さんに採血されたのですがそれがなかなかに痛かったです。やせ型なので血管結構浮いてたはずなんですけどね。あれ?とか言いながら針動かすし、抜くときも軽率に動かすからいちいち痛いしで悲しかったです。元気がないとすぐ悲しくなりますね。

 

 今日はいつものように早起きしようと思っていていつものように失敗しました。本当に起きれない!なにかサプリとか養命酒とかを飲むことを考えています。そして授業に赴き(雨なのに!ちなみに遅刻)、授業中に久しぶりに少しTOEFLの単語を覚えて、そこからはスマホを見ながら授業を聞いていました。この授業というのがなんとも自分の嫌なものが詰まっていて苦しい。一番自分が嫌だと感じているものが何かは判然としていませんがとにかくすごくストレスがたまるのです。教授が微妙に下手な関西弁を使うからなのか、笑うタイミングがよくわからないからなのか、しかしおそらく一番大きいのは教授が考えていることと自分の考えていることに大きな差があることではないかと思います。教授が「君たちは優秀で社会で活躍できる人材に~」などと言う傍ら、わたしは「自分は落ちこぼれてこの場にたどり着いてさらに落ちこぼれようとしているし、周りもそこまで優秀とは言えない」と思っているし、「君たちの研究テーマの強みが社会でどう活かせるか~」というときに「自分の研究室は進路を間違え続けた先の妥協の産物で、興味がまったくないわけではないし面白い部分もあるがそれが社会でどうなるかなんか知らないしそこに興味もない」という自分がいます。そうやって嫌なことばかり考えて、果てに「自分は大学で優秀な仲間とともに切磋琢磨するということはできなかった、他の大学は……」と考えたあたりでストレスは限界に達しました。そのあともう一つ授業が本当はあって、行くかどうか迷っていたのですが、こういう状態で行ってられるかということで大股で一目散に帰宅しました。

 

 そのあとはコンサートに行きました。わたしはクラシック音楽鑑賞が趣味なのですが、最近は時間があまりとれていません。そして体調も上の通りあまりよくない。ということで寝てしまいました。かなり音量が大きく派手な曲でしたがそういう要素はあまり関係ないようです。寝るときは寝ます。大学の後輩もいたのですが予習できてない(あまり曲になじんでいない・覚えていない)上に寝たので話にはついていけず。寝なかった前半の曲についても全然頭に入ってきませんでした。体調もありますが自分の感性が枯れているのを感じます。

 大学の後輩というのは部活動の後輩で、わたしは引退しましたが後輩はまだです。昔はあんなに熱心に打ち込んでいたのにいざ自分が関わらなくなると本当に興味がないですね。情がないのでしょうか?しかし後輩の話す運営上の問題というのはわたしの頃から似たようなもので、どんどん難しいものに挑戦しようとしていた自分と周りの意見が合わず、思うように進んでいかなかったことを思い出し、また悲しくなりました。まだチャレンジ精神は死んではいませんが今は本当に元気がありません……。

 

 思えば大学に入って以降諦めたものが本当に多いです。今回の日記はそう思ったときに筆が動いたものです。大学受験に二度失敗、完全に挫折から始まり、そのせいで周りの同級生に期待していないので友達はできず、それでも入学当初はやる気があったのに、規則正しい生活が送れないのもあり授業をどうしても頑張れずGPAを諦め、そのせいで課程配属も第一志望を譲り、部活では上述のようにやりたかったことを諦め、研究室配属では身の丈に合った範囲で局所最適な研究室に配属されましたがそもそも行きたかった課程(というのもまた局所最適)ではないままなので身が入らず、院試ももう自分にはエネルギーがなかったようで、希望が持てず勉強に手が付けられず少し精神を病んだりして夏・秋とともに失敗、結局今は壊滅的な出来だったはずなのにも関わらずなぜか合格していた同じ研究室にいます。大学に入って以降、なにかうまくいったことがあったでしょうか。すべて自分の身から出た錆であり自業自得でそこを否定しようという気はないですが、じゃあどこで間違えたのが一番の原因なのでしょうか、そして何が正解だったのでしょうか。本当にわかりません。

 留学したいなと思っていましたが何の研究をしたいのか明確で目的意識が強くないと意味がない・できないと教授に言われたのでそれも一旦諦めました。私の留学には自分探し・成長といった曖昧なもの以上の目的はありませんでした。私は今何をすべきなのでしょう。それもよくわかりません。やりたいことは多いですがそのほとんどが学生の間に終えることができないというのが現実で、どれからやるべきなのかもまだわかりません。今は「気づき」を探して本を読んでいます。

 

 前回も触れた「現代思想入門」を目下読んでいます。読んでいくと脱構築や超越論はなんだか自分が普段からしているような逆張りなどの考え方に近いものがあり、すんなり受け入れられています。今回のブログには文末が「です、ます」になっていない文がありますが、それはこの本の文体の影響です。明日には読み終わりそうで、これが終わったらドラゴンクエストを始める予定なので読書はしばらくお休みになるかもしれません。ドラクエは心の栄養です(これはすぎやま先生の言葉をアレンジしています)。

 読書と言えば昨日買った小説のサイン本があるらしいので取り置きしてもらい、持っているものは後輩に譲りました。宇佐美りんさんの「くるまの娘」という小説です。どうやらかなり重い小説のようです。わたしは重くて暗い小説を求めている気がします。どん底からの栄光を求めているからなのでしょうか。ベートーヴェン交響曲にも通底しますね。それと、今のどんより曇った気分を晴らしたいのでカタルシスを求めているという傾向もあります。感動映画・小説(浅くないもの)に出会いたいです。そうでないとしても、小説で普段感じることのない感情の揺らぎを経験することは好きです。もっと現実にも刺激的な日々を送りたいものです。自分が感情が薄いせいかもしれません。

 

 これはここまで述べてきたことに対する戒めでもありますが、諦めてばかりいては自信をなくし、いろんな可能性を見失ってしまいます。低い天井のある場所に置かれ続けたノミはその後天井がなくなっても以前のように高く跳べなくなってしまうそうです。本当は跳べるのに、です。困ったら外に目を向けることは大事です。それはドゥルーズが「アンチ・オイディプス」で批判した内容やアドラーの提唱した「共同体感覚」にも通じることです。そして「視野を広げること」と「気づき・感動」はセットであり、「気づき・感動」を得るためには新鮮な経験が欠かせません。僕は「何か」を求めて、この前は最近ちょっと仲良くなりだしたくらいの人とご飯に行きましたし、今度はmeetupで全然知らない英会話サークルに参加しようと思っています。

 暗い、かつ惨めで気持ちの悪いブログになってしまいました。ごめんなさい。しかも読む人によれば特定されそうな内容ですが、違法な内容はないしまあ大丈夫でしょう……。元気がないと部屋が散らかりますね、そして文章も散らかっています。そろそろ片付けしないと。我救われんことを。アーメン。

admonish:戒める

salvation:救済、救世主

生活の気づき

tl;dr ドラクエをしよう!

 

 Bonsoir. Comment allez-vous? 最近はDuolingoをやりすぎて日本語を話している時間よりフランス語を話している時間のほうが長くなっています。今日なんか2時間もやっててさすがに驚きました。ただでさえ時間が足りていないのにDuolingoに2時間!一応語学学習とはいえ勉強とゲームの間みたいな立ち位置ですからね……。

 時間がないで言うと、最近妙に眠いんですよね。春眠暁を覚えずとも言いますが、起きている時間が減るのは普通に困ります。花粉症のせいなのか抗アレルギー薬のせいなのか、ともかく意識的に生活リズムを整える必要がありそうです。今日も昼過ぎまで寝てしまったので今夜は起きておこうかな~という気分になっています(どうせ寝るんでしょうけど)。

 良い睡眠には適度な運動が効果的であることはみなさんもご存じの通りです。最近わたしは以前の記事でも言及したようにジムに登録しました。ジムすごいですね、今も全身筋肉痛ですよ。今日は夜が更けてから研究室に行って、サウナだけ入りに行こうかな~なんて思っていたら時計を一時間見間違えていてもう営業時間内に間に合わない時間でした。悲しい。

 

 ということでジムはあきらめて今は本を読んでいました。「現代思想入門」という本です。なかなかおもしろいですね。みなさん、最近脱構築してますか?試しにここでゲームについて脱構築を試みましょう(読みかじりの知識なので正確性はあてにしないでください)。

 先ほど述べたようにDuolingoはゲームのようなもので、わたしの場合「ただでさえ時間がないのにゲームなんかしている暇はない」というひとつの命題があります。なぜゲーム”なんか”と言われてしまうのかというと、もちろんゲームは「役に立たない」「優先順位が低い」という共通認識ともいえる前提があるからです。

 これについて改めて考えてみます。今挙げた二つの述語には「人生において」あるいは「自分にとって」という前置きが成立します。そこで「人生にとって非本質的である」と言い換えてみます。では本質的なものとは、と考えてみると、おそらく勉強・仕事や家庭での時間などになってくるでしょう。デリダ的に言えば、ゲームがエクリチュールで勉強や仕事がパロールということになります。未読の方のために補足すると、これらのタームは文字言語=écritureよりも音声言語=paroleの方が本質的だという発想から採られたものだそうです。参考書で文字を読んでもわからないが同じ内容の授業を受けてみるとわかるといったこともあります。*1文字のない言語はあっても逆はないように、言語の発生も音声が先ですよね。

 さて、では「ゲームは非本質的である」という命題は正しいでしょうか?そうとも限らなそうです。例えばDuolingoはゲームを楽しみながら外国語を学習することができ、なかなか英語から卒業できないわたしがなんとかフランス語との繋がりを保つための大事な存在になってきています(繋がりすぎて英語を勉強するのを忘れてしまいそうなほど。今日TOEICの結果を見たら微妙だったので気を引き締めなければ……)。

 しかしこれはレアなケースで、一般化するわけにはいきませんね。最下位がアイテムボックスに差し掛かるタイミングで無敵アイテムを使ってサンダーを回避したり、グライダーの間だけジャイロ操作をオンにしたり、トリプルキノコでスターを運搬して打開したりするのは非本質的だと唾棄すべきものでしょうか。

 そんなことはない、と言いたいし、言えると思います。ゲームがどれだけ人の人生を豊かにし得るかは計り知れません。ゲームを通じた人との繋がりは幼少期であれば友人と会話する上での必須教養にすらなり得ますし、ネット全盛の今であればオンライン上での人間関係を築く一助になります。人間関係に限ったことではなく、オフラインで完結するRPGに心打たれ、それが人生の支えになるということが起きます。

 かくいうわたしも、やってきたゲームの数こそさほど多くないですが、いざ始めた時ののめりこみ方は尋常ではなく、特に「ドラゴンクエスト」(以下ドラクエ)シリーズがなければ今のわたしはなかったでしょう。幼稚園の頃からドラクエに触れていたので比較的早い段階から読み書きができ、ドラクエの音楽に啓発されクラシック音楽に食指が動き、これ以外にも優れたストーリー・音楽・デザインがわたしの人生に与えた影響は計り知れません。人生で一番力を入れたことはドラクエであり、すぎやま先生の指揮による「ドラゴンクエストの世界」を聞きに行けなかったことが人生における大きな後悔の一つです。ドラクエはわたしの原体験であり人生の指針であり、生き方に困ったらドラクエに聞けばいいと思っているし、ドラクエの魅力を一人でも多くの人に伝えたいし、ドラクエのような素晴らしいコンテンツをわたしもいつか作りたいと思っています。今の楽しみは月末のドラゴンクエストコンサートで、この前の5/5にも聞きに行きました。この世で一番有意義なお金の使い方の一つです。ドラクエがわたしの人生の一部なのではなく、わたしの存在そのものがドラクエに包摂されていると考えています。

 今日ドラクエのストーリーを見直したのもあって、ドラクエへの愛が溢れすぎました*2。長々と述べてきましたが、これは最近ではもう目新しい視点ではないですね。e-sportsは黎明期を脱しつつあり*3、「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」の内容が波紋を呼ぶ昨今の現状を鑑みても、「否」と答えるのが標準化してきていると言えます*4

 さらに、遊びという大きな括りで見れば、"All work and no play makes Jack a dull boy."とは大昔から言われていることで、遊びが発想を豊かにし人間を人間たらしめるとも言えます。書店で適当にビジネス書・自己啓発本を手に取ればかなりの確率で「遊びが大事」という主張に出くわすことでしょう。例えば発想の遊び・飛躍に関して、SFプロトタイピングについて書かれた「未来は予測するものではなく創造するものである」を読んでみてください*5

 加えて現在、ブームは過ぎつつありますが、機械学習人工知能技術の進歩により様々なものが自動化され、多くの職業が数年後・数十年後には消滅するともいわれている中で、芸術や娯楽に人間らしさを見出すという視点もあるでしょう。これからはエンタメや!とホリエモンも言っていました*6

 そもそもたった一度の人生を仕事に捧げるというのもどうなんでしょうね。これは働き始めないとわからないかもしれないので沈黙することにしますが、ともかく以上が脱構築に関する長すぎる例であり、ここではゲームがパルマコン(有益でも有害でもありうる物)的に扱われています。

 ところで、パロール(音声言語)の優位性に関連して、外国語学習でも音声を重視すべきだというある種のイデオロギーが存在し、近年では「英語のハノン」などがその代表例と言えるでしょう。なかなか大変そうですが、それでも英語を話せるようになりたい方におすすめです*7。スピーキングの練習法としては他にも例文暗記、瞬間英作文、音読、反訳・復文など様々なものがあり、教育関係者や文学者など専門家の間でその有効性について日々議論が繰り広げられています*8。我々学習者としてはさっさと結論を出してほしいものですが、それを待ってもいられないので個人的には色々やってみるのがいいかと思います。そもそも勉強法に絶対的な結論を求めるのも安易な考え方であって、例えば某今でしょ先生は、人には勉強の仕方にも人によって向き不向きがあるから自分に合った勉強の仕方を模索すべきだとして、音読一辺倒の英語教師をこき下ろしていました(わたしは音読はした方がいいと思っています)*9。この辺りはドゥルーズが「アンチ・オイディプス」で批判した内容にも繋がります。

ドゥルーズガタリの思想は、外から半ば強制的に与えられるモデルに身を預けるのではなく、多様な関係のなかでいろんなチャレンジをして自分で準安定状態を作り出していけ、ということだと言えるでしょう。千葉雅也(2022)「現代思想入門」p.71

 ポストモダンにおいては、「大きな物語」が失われた、という表現があるそうです。これは価値観が多様化し、共通の理想が失われたことを言います。例えば少し前までは一軒家を買って車を買うというのが一つのゴールのように捉えられていたのが、今では「タワマン」に取って代わられたりカーリース・カーシェアが登場したりしています。さらに進んで、「タワマン」については「本当にわかっている人は低層階」という見方も出てきています。

個人的には高いところに住む価値がよくわからない。外出に5分かかるわずらわしさのほうが大きい。cis(2018)「一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学」p.93*10

そもそも当時は高度経済成長期の頑張れば頑張るだけの成果が出るような時代だったということもあり、今では働き方に対する価値観にも多様化がみられます。先に述べた「一生を仕事に捧げるべきか」という話がまさしくそれで、ワークライフバランスという概念は昔にはありませんでした。このような状況に対し理論化を試み、脱構築等の概念を用いて多様性と向き合い、新たな方向性を示したのが現代思想と言えます。

 一つの価値観を押し付けられるよりは価値観が多様化した方がはるかにマシで、エマ・ワトソンの国連スピーチにもあるように、それによって自由に生きられるようになる人(主にマイノリティの人々)も多いはずです。このご時世ではもはやそれは当たり前のことで、それ自体が一つの新しい価値観となっています(落合陽一がさらに一歩進んで「多様性を認めない人がいるのもまた多様性だ」と言っていました。スピノザで出てきた「観念の観念」を思い出します)。一方で、弊害もあります。例えば野球部に「本気で野球をやって大会で勝ちたい」という人と「野球を楽しくやりたいだけできついトレーニングはしたくない」という人がいては、前者だけが集まった強豪校に勝つのはかなり厳しいでしょう。もちろん後者の考え方が悪いわけではなく認められるべきなのですが、共存するのは難しいと思われます。このように、共通のゴールがなければ「船頭多くして船山に上る」といったようにどこにも向かえないということがあり得ます。ゴールを明確にしておくことはマネジメントにおいて極めて重要です。ただし、「ゴールを明確にする=価値観を押し付ける」ではないことは改めて強調しなければなりません。これが組織運営の難しさでもあります。こういったことにも現代思想の考え方は援用できるのかも知れません。哲学はちゃんと咀嚼すれば実用的な武器になるのです。

 以前、価値観の押し付けが一定数存在した時代では、自分の価値観が否定され苦しんだ人がいる一方で、人生の方向を勝手に決められたことである種助かっていた受動的な人もいました。現在そういう人に目をつけて成り立っているのが自己啓発の類ですね。自己啓発本はわたしも時々読みますが、よく選んで買わないと本当にくだらない内容の、同じこと・既に知っていることを書いた本が多いです(体感95%)。どうせ「考え方」の本を読むなら哲学書を読んだ方が内容の濃さが違いますからよいです。自己啓発で言われていることは哲学の内容をよくよくすりつぶしてそれにフィルターをかけて残ったごくわずかな残りかすを薄く引き伸ばしたものだと思ってください。生き方というのに答えはなく、したがって教えてもらうものでもなく、それは先ほど引用したように自分で見つけていくものだという意識を持ちましょう。

 価値観の押し付けとは少し違いますが、昔は宗教が力を持ち、その教えに従えば幸せになれると多くの人が信じ、それをよりどころにしていました。

宗教が力を持っていた時代であれば、まだ救いもあったでしょう。神の教えこそが真理であり、世界であり、すべてだった。その教えに従ってさえいれば、考えるべき課題も少なかった。しかし宗教は力を失い、いまや神への信仰も形骸化しています。頼れるものがなにもないまま、誰もが不安に打ち震え、猜疑心に凝り固まっている。みんな自分のことだけを考えて生きている。それが現代の社会というものです。岸見一郎、古賀史健(2013)「嫌われる勇気」p.4

上の引用はベストセラーになった「嫌われる勇気」からの引用です。本書ではこれが悩める青年によって提示された後、哲人が「世界はシンプルであり、人生もまたシンプルです」と返します。現代思想は多様化する価値観を肯定しますが、こちらは失われた共通の幸福についてアドラー心理学による定義を与え、脱構築とは異なるコペルニクス的転回を試みます。興味があれば読んでみてください。もっとも、これも数ある考え方の一つであることをお忘れなく。

www.amazon.co.jp

 宗教がかつてどれだけ力を持っていたかについては世界史を紐解けば明らかです。その時代は、現代ほど複雑怪奇な社会ではないのもありやはり人々の心も現代よりは安定していたのだと思います。そのような時代の方がきっと生き方は簡単で、わたしは人生に疲れてふと中世に思いを馳せることがあります。そんな昔から多くの人に大切にされてきた宗教には学ぶことが多いと思っています。先ほどは哲学の本を読もうと言いましたが、孔子ブッダなど宗教関連の本もおすすめしておきます。

 宗教が人々にもたらす心の平穏に似たものを、「僕のヒーローアカデミア」に感じます。平和の象徴であるオールマイトの存在が、人々の暮らしを精神的に支えていることが描写されています。しかしその象徴が失われたとき、世間が大混乱に陥ることは避けられません。なにか一つのものに依存するというのは脆いものなのです。例えば恋人にどっぷり依存する人がいます。恋人の存在は精神面を大きく支えることは間違いありませんが、恋人がいないと生きていけないというようではリスクが大きすぎます。自分の機嫌は自分で取り、自信をつけ、自分自身で自己肯定感を生み出しましょう。そして自分の中に、自分だけの心のよりどころとなる大切なもの(できれば複数)があると安心です。そこに恋人がいればさらに幸せですね。ヒロアカはこれ以外にもいろいろ考えさせれる場面があり、ストーリー自体も面白いのでおすすめです。アニメ6期がこの秋放送予定です。ちなみにわたしは4期まで見ました。

 

 現代思想入門の初めの二章までの内容でもう4時半になってしまいました。今日(?)は寝れなくても別にいいと思っていたので問題ないとはいえちょっとびっくりです。どうせ寝るんでしょうと書いていた時はまだ普通の時刻だったのです。ここからが本題のつもりだったのですが本紹介が大作になってしまったのでこちらを本編にしてしまうことにします。長い割に内容は薄かったでしょう。濃い内容を求める方は実際に読んでみてください。今回の内容も、例えば「(自己啓発本などで)生き方を規定されることに自覚的になり自分のスタイルを確立すべし」というように、本を読んでいろんな気づきを得たことが発端ですが、タイトルの「生活の気づき」で本当に言いたかったことについては次回をお楽しみに。ということで現代思想入門、未読の方はぜひ。わたしも読んでいきます。(その前に研究室の発表スライドを……)

www.amazon.co.jp

 

追記:本編を書きました

sonorite3400.hatenadiary.jp

 

*1:これについては集中力の差もあるかもしれません。

*2:ちなみにおすすめの順番は5,1,2,3,8,11,4,6,7です(9と10はできてない泣)

*3:わたしの友人は卒業研究でe-sportsに関することをやると言っていました。昨日ランニングマシーンで見ていたQさま!!ではe-sportsの実況キャスターが解答していました。

*4:もちろん、幼少期にゲームにのめりこむことを防ぐことでよい成績を目指せるという意見もあり、特に進学校出身の人にはそういう人が多そうです。

*5:未来は予測するものではなく創造するものである ――考える自由を取り戻すための〈SF思考〉 (単行本) | 樋口 恭介 |本 | 通販

*6:10年後の仕事図鑑 | 堀江 貴文, 落合 陽一 |本 | 通販

*7:Amazon - 英語のハノン 初級 ――スピーキングのためのやりなおし英文法スーパードリル (単行本) | 横山 雅彦, 中村 佐知子 |本 | 通販

*8:ちなみに、スタディサプリの某神授業先生は毎回袋叩きにされている気がします。

*9:ただし本当に何からやればいいかわからない人や、定期試験はできるけど実力試験で失敗するタイプの人は勉強の仕方を調べて見直した方がいいと思います。例えば以下の書籍:

Amazon.co.jp - 独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法 | 読書猿 |本 | 通販

*10:Amazon.co.jp - 一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学 | cis |本 | 通販

GW

 早いもので季節は風薫る五月となりました。読者の皆様におかれましては益々ご健勝のことと存じます。

 世間はゴールデンウィークですね、みなさんどのようにお過ごしですか?わたしは昨日までは延々travailleしておりました。歩きすぎて歩数が20,000歩を超えていたり、メモ帳にこっそり英単語を忍ばせて暇な時間に覚えたりしておりました。

 今日ですか?いい質問ですね。

質問の内容が核心を突いているため、自分自身うまく答えられるかどうかわからないときに、「それは良い質問ですね」ということがあります。倉林秀男(2021)「バッチリ身につく英語の学び方」p.187

 今日は起きたら授業開始5分前で慌てて家を出て遅刻、昼休みに帰ってきてシャワーを浴びて昼寝、また授業に出て帰って昼寝、そして今に至ります。何もしてないですね。さっき気が変わってcourseraの授業をunenrollして、今はジムの入会無料キャンペーンの話を聞いて登録しようかとなってます。

 

 初めにも書きましたが、もう5月になってしまいました。5月といえばトトロのサツキ(皐月)とメイ(May)は両方5月ですね。この辺りを深堀りすると狭山事件とかの都市伝説にたどり着くのではないかと思います。ジブリ関連でいうと久石譲さんの音楽は素晴らしいですよね。今はスメタナのVltava(Furtwängler、VPO)を聞いていますが、この曲が(多分)チェコ人の心に根付いているように、日本人は延々ジブリを再放送する金曜ロードショー等の影響でかなり郷愁と結びついている気がします(この前ツイッターで他にも名作いっぱいあるやろとキレている人を見かけました)。久石譲さんは最近日本センチュリー交響楽団の客演指揮者に就任されて、自作もいくつか演奏されています。ますますの活躍を期待したいです。そして、わたしは結構ジブリの音楽が好きなのでもっと国外での知名度が上がればいいなと思っています。

【NEWS:日本センチュリー交響楽団 久石譲 首席客演指揮者就任決定!!】 | 日本センチュリー交響楽団

 話はそれまくりましたが、月初めに自戒を込めて日々の進捗について少し書こうと思います。

 成長していきたいと思ったときに、日単位の成長はなかなか見えにくいので中長期で予定を立てると思いますが、その成長というのはもちろん日々の微小な成長の積分になっているわけです。わたしが今読んでいる本でも、毎日その日の行動を振り返り次に活かすことを奨励しています。さて4月はみなさんどんなことをしましたでしょうか。成長していますか?わたしはTOEICを受けました(手応えは悪いですが)。逆に困ったことにそれくらいしかないですので反省しないといけません。

 

うーん、厳しい!

 

 先ほど「いま」という言葉を使いました。わたしは数学の記述で突然「いま」という言葉が出てくるのが不思議で、「簡単のため」みたいな数学特有の言葉なのかなと思っていました。実際そうなのだと思いますが、実は辞書によると英語の「今」つまりnowには「さて」という意味があるそうなのです。つまり英語の数学論文の中で「さて」の意味で使っていたNowを日本人が「いま」と訳したのだろう、という仮説をわたしは持っています。

 ところで進捗については以下の記事がとても参考になります。

nhiroki.jp

 ふたつポイントが述べられていて、「当たり前のレベルを上げる」についてはわたしの最初の記事にも少しつながるものがあり、改めてその重要性と視野を広める必要性を感じます。「毎日前に進む」について、あえてこの連休真っただ中に言いたいのが、何かを言い訳にして今日はいいか~となるのはやめたほうがいいのではないかということです。社会人になれば平日は毎日仕事で、子供がいればそれに加えて育児もあります。今日はバイトがあるからいいや~とか、今日は週末だから休も~なんて気分で学生をやっているうちに一瞬でモラトリアムは終了し、そしてその調子では社会人になって自分の時間や進捗なんてものは到底作り出せません。

 ですので本当に文字通り少しでいいので何かしましょう。いま、仮に5分英単語を毎日パラパラ見るとします。そうすれば多分一週間で100は覚えられるんじゃないですか?こうしているうちにもっとやりたくなってくるのです。脳科学によるとやる気は待つものではなく、作業を始めると自然にわいてくるものだと昔読んだ勉強法の本に書いてあった気がします。とりあえず何かしましょう。

 わたしはバイトと授業のどちらか一方が休みであればそれは休日だと思っています。休日はもちろん勉強です。ということはほとんど毎日勉強しないといけません。頑張ります。

 

 今日は……頑張ります。とりあえずジムに行こうと思います。

 

 ちなみにタイトルがGWで、これは後でゴールデンウィークのことじゃないんかーいというオチだと予想したあなた、鋭いですね。なにも思いつかなかったのでこれは普通にゴールデンウィークのことです。では。

 

Appendix:軽くスルーした視野を広げる話関連の記事を置いておきます。どれか一つ読んでみてください。全部でももちろんよいです。

視野を広げるの話 - Attribute=51

新大学生が早めに気づくとよい海外大学院という進路 - 16bitのメモランダム

宇宙を目指し、医学部に迷い込んだ先に見た景色。|Space Medicine Japan Youth Community (宇宙医学)|note

 

ブログ開設、その後

 

sonorite3400.hatenadiary.jp

 

 

 

最悪です。

 

ブログを開設していたらJASSOの奨学金の締め切りに間に合わなくなってしまいました。

 

 

月10万円の損失(?)

 

。。。。。

 

 

ブログ閉鎖したろかな

 

 140文字のツイッターではこの辛さを表現できないのでブログはやっぱり便利かも知れませんね。そういえばイーロンマスクがツイッターを買収したそうで。

金に困らなくて済むようになってやるぞ!うおおお

 

 金に困らなくて済むようにといえばお金2.0という本の冒頭を立ち読みしたときににそんなことが書いてあった気がします。著者の佐藤航陽さんは最近世界2.0という本も執筆されていますね。日本を代表する起業家であり、日本のメタバース産業を引っ張っていく方だと思います。途中まではnoteに書いてらっしゃったので興味がある方はとりあえずこちらを読んでみてはいかがでしょう(この記事が編集者の目に留まり書籍化されたそうです)。ちなみにわたしは書籍を買って積読しています。

世界の創り方(前編)|Katsuaki Sato|note

 

 積読といえば某大学入試の自由英作文のテーマになったことがありますね。積読という言葉を知らなかった受験生もいたとか……知ってるやろそれくらい

 

 奨学金借りれなかったよ~お金ください泣ということを本名のアカウントでつぶやいて今のぞいてみたら何とも言えないリプライがついていたので見なかったことにしてログアウトします。

 

 ブログを書いてたら落ち着いてきました。ありがとうございます。リラックス効果あるんですかね?リラックス効果といえば読書や昼寝は大きくストレスを下げる効果があるとライフハックを発信するインフルエンサー(?)がツイートしてました。「ハグでストレスが半減されるという事実がわたしのストレスを倍増させる」というのは枕草子の一説ですが、恋人がいる方はその素敵な関係も利用してストレス社会を乗り越えていきましょう。

 ところでみなさん読書一生分プレゼントキャンぺーンにはエントリーしましたか?100万ポイントではせいぜい1,000冊くらいしか買えませんが、それでだいたい一生分みたいです。わたしのビブリア上の「読みたい」には6,000冊以上登録されているのですが……

honto - honto10周年記念 読書一生分プレゼントキャンペーン実施中

 

もう2時ですって?冗談ですよね?さようなら。Live a good life.

 

 

本当に優秀な人っていうのは奨学金の締め切りを過ぎたりしないんだろうねきっと