La douleur passe, la beauté reste.

 お久しぶりです。突き指しました。aとかが打ちにくいです。

 

 今回は森岡毅「苦しかったときの話をしようか」を読み直して感じたことを、あまり議論を深めすぎない程度でメモ書きしようと思います。

 

 書くのはすべて疑問に思ったことなのでイメージが悪くなってしまうかもしれませんが、非常に良い本で、また読み返したい本のひとつになりました(前読んだ時より自分に刺さった)。自分のキャリアの描き方について具体的なアドバイスが得られますし、熱い激励メッセージも多々あります。ぜひ読んでいただきたいです。実際わたしもこの本を読んで自分のやりたいことをブラッシュアップしましたし、自分のBrand Equity Pyramidも作ってみました。あと子供がほしいです。

 

 

 まずは社会のこと。この本では自分の強みを見つけ磨き続けよう、ということが述べられていて、その強さとは社会・企業における強さです。「おわりに」にも、努力できないなら「資本主義社会のルールに則って、もたらされるインパクトを甘受する覚悟だけは持って」生きればよいと書かれています。

 仕方ないというのはそれはそうとして、それが本当に人の幸福にとって良いことなのでしょうか。

 まずこの本では、自分の強みとなる部分は自分が好きなことを突き詰めると見つかるもので、好きなことについては努力できるだろう、と書いてあります。実際そんな気がしますし、希望が持てる主張です。しかしここで本当に好きなことについても努力できない人がいた場合、「その人は何も努力できないということ」になります。そして努力ができない=強みが生まれないので、特にすき家ユニクロも値上げする永遠の不況の世の中では、前述の通り厳しい生活を送らなければならないでしょう(学生もお金ない!値上げしんどい!)。

 人間の一面だけを見てその人の価値は決まってほしくありません。しかしたまたま「努力ができない」という特性で生まれてしまったらそれだけで苦しい生活を送ることになる。わたしはそうあってほしくないなと思います。「努力するかどうか選ぶ自由」がもう少しあってもいい気がします。*1

 同様に強さというのも「社会で必要とされればされるほどよい」という構造になってしまいます。つまりたまたま社会で必要とされる能力が高く生まれてきた人がそれだけ高く評価されるということです。

 研究職の給料が低いとはよく言われますが、逆に社会に直接的に役に立つわけではないスキル(≠研究内容)を持つ人がお金をもらえているのは特殊な状況であり、社会から見たら投資の側面があります(研究者のみなさん、応援してます)。

 オリンピック選手なども特殊な構造で、広告効果があるからスポンサーがつくという面が大きいでしょうから、これも単純にその人のスキルで稼いでいるわけではありません。例えばどれだけ速く走れたとしても、そのことで直接誰かの役に立っているわけではないので、足の速さ自体ではお金になりません。

 これは要するにメリトクラシーの話ですね。サンデル教授の本を読む必要があります。*2

 

 次に教育について。これも「おわりに」から、「日本が生き残る道は、社会を活性化させる人材を輩出する構造を早く強化することだ」とあります。

 その通りだなと思います。わたしも、もっと教育をよくすることでもっと多くの人を幸せにすることができると思っていて、Edtechに興味を持ったりもしていますが、将来はその方向のキャリアは進まない気がします。いつか何らかの形で関われたらいいなと思います。

 しかし先ほどの社会の話を読んだ賢明な読者の中には、この引用部分に似たような匂いを感じ取った方もいるのではないでしょうか? そうなのです、あの話の延長線上で考えると、ただ社会に適合するための教育をすることが本当にいいことなのか?という疑問に行き当たります(実際には、この記述にはスキルの面以外に「自分のキャリアについてもっと早期から考えるべき」という主張も含まれていると思います)。

 そうすると現在我々が受けている(た)教育も、社会に都合のいい人材に育て上げるためのものだったのではないかという気がしてきます。ではそもそも教育とは……。*3

 

 最後にマーケティングについて。著者の森岡さんはユニバーサル・スタジオ・ジャパンハリーポッターを誘致するなどの大胆な政策で業績を一気に伸ばしたマーケターとして大変有名な方です。「おわりに」にも、日本のため、企業のためにマーケティングの技術は極めて重要であると書かれています。

 そこなのです。Bullshit Jobという言葉をご存じでしょうか。ざっくり言うと、「社会の再生産にはほとんど何の役にも立っていないのに資本主義の構造をよく捉えているので高い給料を得ているクソみたいな仕事」のことです。「人新世の『資本論』」では脱成長の文脈で言及されていました。*4

 マーケティングもそれに該当します。マーケティングはマーケット(市場)を分析して、企業の業績が伸びるように方針を決めるのが仕事です(専門外なので詳しくないです。間違っていたらすみません)。「僕は君たちに武器を配りたい」では「顧客の需要を満たすことができる人」と説明され、これから生き残れるビジネスパーソンの一つのパターンとして一つの章が割かれています。*5

 社会で企業が生き残るために重要なスキルなので重宝されるのはわかるのですが、そもそもなくてもいい職業ではないですか? まあ社会を変えることは難しいので現状仕方がないことではありますが、もっと人類にとって、各個人にとって大事なことがあるんじゃないかなと感じてしまいます。*6

 

 

 3つと言いながら結局全部社会のことでしたね。ここで考えるのをやめるからいつまでたっても凡人なんだろうな~。久しぶりに本を最後まで読めて気持ち良すぎだろになってます。もう一度言いますけどすごくいい本でしたよ。ぜひ。

さて勉強しないと

 

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