低気圧の夜に

 こんばんは.

 

 今回は日記のような感じなので特にテーマはありません(いつもそう)。今日は雨、昨日も雨でした。雨は嫌いです。嫌いすぎて特大サイズの傘を愛用しているのでよく笑われます。そして低気圧だと体調が悪くなります、これは共感してくれる人も多いはずです。ただでさえ花粉症と副作用と五月病で何もできない人間になっているというのに。勘弁してほしい。「あらしのよるに」、懐かしいなあ……。結構いい話だったと思いますが今は昔。

 ちなみに低気圧ではなく低血圧はhypotensionといいます。TOEFLの単語帳に載ってました。低血圧といえば、この前健康診断で看護師さんに採血されたのですがそれがなかなかに痛かったです。やせ型なので血管結構浮いてたはずなんですけどね。あれ?とか言いながら針動かすし、抜くときも軽率に動かすからいちいち痛いしで悲しかったです。元気がないとすぐ悲しくなりますね。

 

 今日はいつものように早起きしようと思っていていつものように失敗しました。本当に起きれない!なにかサプリとか養命酒とかを飲むことを考えています。そして授業に赴き(雨なのに!ちなみに遅刻)、授業中に久しぶりに少しTOEFLの単語を覚えて、そこからはスマホを見ながら授業を聞いていました。この授業というのがなんとも自分の嫌なものが詰まっていて苦しい。一番自分が嫌だと感じているものが何かは判然としていませんがとにかくすごくストレスがたまるのです。教授が微妙に下手な関西弁を使うからなのか、笑うタイミングがよくわからないからなのか、しかしおそらく一番大きいのは教授が考えていることと自分の考えていることに大きな差があることではないかと思います。教授が「君たちは優秀で社会で活躍できる人材に~」などと言う傍ら、わたしは「自分は落ちこぼれてこの場にたどり着いてさらに落ちこぼれようとしているし、周りもそこまで優秀とは言えない」と思っているし、「君たちの研究テーマの強みが社会でどう活かせるか~」というときに「自分の研究室は進路を間違え続けた先の妥協の産物で、興味がまったくないわけではないし面白い部分もあるがそれが社会でどうなるかなんか知らないしそこに興味もない」という自分がいます。そうやって嫌なことばかり考えて、果てに「自分は大学で優秀な仲間とともに切磋琢磨するということはできなかった、他の大学は……」と考えたあたりでストレスは限界に達しました。そのあともう一つ授業が本当はあって、行くかどうか迷っていたのですが、こういう状態で行ってられるかということで大股で一目散に帰宅しました。

 

 そのあとはコンサートに行きました。わたしはクラシック音楽鑑賞が趣味なのですが、最近は時間があまりとれていません。そして体調も上の通りあまりよくない。ということで寝てしまいました。かなり音量が大きく派手な曲でしたがそういう要素はあまり関係ないようです。寝るときは寝ます。大学の後輩もいたのですが予習できてない(あまり曲になじんでいない・覚えていない)上に寝たので話にはついていけず。寝なかった前半の曲についても全然頭に入ってきませんでした。体調もありますが自分の感性が枯れているのを感じます。

 大学の後輩というのは部活動の後輩で、わたしは引退しましたが後輩はまだです。昔はあんなに熱心に打ち込んでいたのにいざ自分が関わらなくなると本当に興味がないですね。情がないのでしょうか?しかし後輩の話す運営上の問題というのはわたしの頃から似たようなもので、どんどん難しいものに挑戦しようとしていた自分と周りの意見が合わず、思うように進んでいかなかったことを思い出し、また悲しくなりました。まだチャレンジ精神は死んではいませんが今は本当に元気がありません……。

 

 思えば大学に入って以降諦めたものが本当に多いです。今回の日記はそう思ったときに筆が動いたものです。大学受験に二度失敗、完全に挫折から始まり、そのせいで周りの同級生に期待していないので友達はできず、それでも入学当初はやる気があったのに、規則正しい生活が送れないのもあり授業をどうしても頑張れずGPAを諦め、そのせいで課程配属も第一志望を譲り、部活では上述のようにやりたかったことを諦め、研究室配属では身の丈に合った範囲で局所最適な研究室に配属されましたがそもそも行きたかった課程(というのもまた局所最適)ではないままなので身が入らず、院試ももう自分にはエネルギーがなかったようで、希望が持てず勉強に手が付けられず少し精神を病んだりして夏・秋とともに失敗、結局今は壊滅的な出来だったはずなのにも関わらずなぜか合格していた同じ研究室にいます。大学に入って以降、なにかうまくいったことがあったでしょうか。すべて自分の身から出た錆であり自業自得でそこを否定しようという気はないですが、じゃあどこで間違えたのが一番の原因なのでしょうか、そして何が正解だったのでしょうか。本当にわかりません。

 留学したいなと思っていましたが何の研究をしたいのか明確で目的意識が強くないと意味がない・できないと教授に言われたのでそれも一旦諦めました。私の留学には自分探し・成長といった曖昧なもの以上の目的はありませんでした。私は今何をすべきなのでしょう。それもよくわかりません。やりたいことは多いですがそのほとんどが学生の間に終えることができないというのが現実で、どれからやるべきなのかもまだわかりません。今は「気づき」を探して本を読んでいます。

 

 前回も触れた「現代思想入門」を目下読んでいます。読んでいくと脱構築や超越論はなんだか自分が普段からしているような逆張りなどの考え方に近いものがあり、すんなり受け入れられています。今回のブログには文末が「です、ます」になっていない文がありますが、それはこの本の文体の影響です。明日には読み終わりそうで、これが終わったらドラゴンクエストを始める予定なので読書はしばらくお休みになるかもしれません。ドラクエは心の栄養です(これはすぎやま先生の言葉をアレンジしています)。

 読書と言えば昨日買った小説のサイン本があるらしいので取り置きしてもらい、持っているものは後輩に譲りました。宇佐美りんさんの「くるまの娘」という小説です。どうやらかなり重い小説のようです。わたしは重くて暗い小説を求めている気がします。どん底からの栄光を求めているからなのでしょうか。ベートーヴェン交響曲にも通底しますね。それと、今のどんより曇った気分を晴らしたいのでカタルシスを求めているという傾向もあります。感動映画・小説(浅くないもの)に出会いたいです。そうでないとしても、小説で普段感じることのない感情の揺らぎを経験することは好きです。もっと現実にも刺激的な日々を送りたいものです。自分が感情が薄いせいかもしれません。

 

 これはここまで述べてきたことに対する戒めでもありますが、諦めてばかりいては自信をなくし、いろんな可能性を見失ってしまいます。低い天井のある場所に置かれ続けたノミはその後天井がなくなっても以前のように高く跳べなくなってしまうそうです。本当は跳べるのに、です。困ったら外に目を向けることは大事です。それはドゥルーズが「アンチ・オイディプス」で批判した内容やアドラーの提唱した「共同体感覚」にも通じることです。そして「視野を広げること」と「気づき・感動」はセットであり、「気づき・感動」を得るためには新鮮な経験が欠かせません。僕は「何か」を求めて、この前は最近ちょっと仲良くなりだしたくらいの人とご飯に行きましたし、今度はmeetupで全然知らない英会話サークルに参加しようと思っています。

 暗い、かつ惨めで気持ちの悪いブログになってしまいました。ごめんなさい。しかも読む人によれば特定されそうな内容ですが、違法な内容はないしまあ大丈夫でしょう……。元気がないと部屋が散らかりますね、そして文章も散らかっています。そろそろ片付けしないと。我救われんことを。アーメン。

admonish:戒める

salvation:救済、救世主