Auferstehung

 Jó estét.

 最近忙しいので更新が随分久方ぶりとなりました。今回もあまり長くは書きません。

 今回はわたしが常々思っていることを少し書こうと思います。

 

 わたしは「いつまで生きていられるかわからない」「明日にでも死ぬかもしれない」ということを常々思っています。その理由についてです。

 これはSteve Jobsの有名なStanford大学卒業式スピーチの一部から影響を受けていることは否定しません。具体的には、毎朝鏡に向かって「今日が人生最後の日なら自分は本当に今日しようと思っていることをするだろうか?」と自問自答することで日々を大切に生きることができるというものです。

 実際これには一定の心理が含まれていると思います。ともすれば人間はその場の気分に流されて傾向性に従って生きてしまう生き物です。毎日を大切に生きたいと思っている人は多いでしょう*1

 ただ、これは自分の行動を見直すのには役立っても、実際にそれが行動に移せない人は多いのではないでしょうか。実際私は毎日漫然と生きてしまっています(そもそも自問自答もしていません)。それはあくまで「もし明日が人生最後の日なら」というのが仮定の話に過ぎないからでしょう。誰も明日実際に自分が死ぬとは思っていないわけです。

 ではなぜわたしは先に述べたようなことを考えているかというと、実際に明日が人生最後の日かもしれないと思っているからです(ここまで適当に生きていたら説得力がないかもしれませんが)。

 もちろん、ほとんどの人は明日死ぬわけではないでしょう。それは統計的・確率的事実として厳然と存在します。

 しかし裏返せば、明日死ぬ人も世界中にいます。それは病気等の理由で死を意識している人ばかりではないのです。大変不幸なことに、今までに居眠り運転、逆に突然歩道に車が突っ込んでくるような事故、無差別テロ、バスジャック、医療ミス、自然災害、雷に打たれる、突然の心臓発作、脳卒中等で亡くなった人は数えきれないほどいるのです。そういった人々も、まさか自分が明日死ぬだなんて考えてもいなかったでしょう。そして、理由は何であれ人間である我々に「人生最後の日」は必ず訪れるのです。

 つまり何が言いたいのかというと、どれだけ小さい確率であっても明日死ぬ可能性はあるのであって、それを前もって知ることはできないということです。そう考えると、「もし明日が人生最後の日なら」というのも現実味を帯びてくるのではないでしょうか。

 少しわたしの話をすると、先日祖母が脳卒中で倒れました。幸い現在は元気なようですが、当たり前だと思っていることはいつまで当たり前かわからないし、また今度でいいやと思っていることは今度では遅いかもしれないということを改めて感じました。

 まあかく言いつつわたしは大事な試験が控えていてもそれを完全に脳内から追い出してだらだらすることができてしまうんですがね。今日も今日とて人生がまたひとつ終了しかかっています。(このあたりの話はまた書くかもしれません。)

 みなさん、短い人生存分に生きましょう。宇宙の年齢に比べればあとほんのもうちょっとです。そしていつか死して永遠となりましょう*2

 それでは。Viszontlátásra.

 

ひとつ上のステージにいるSpoon「死ぬ前の刹那、”わたし”とお話していきませんか?」

 

Auferstehn, ja, auferstehn wirst du,
Mein Staub, nach kurzer Ruh'.
Unsterblichs Leben
Wird, der dich schuf, dir geben.
Halleluja!

Wieder aufzublühn, werd ich gesät.
Der Herr der Ernte geht
Und sammelt Garben
Uns ein, uns ein, die starben.
Halleluja!

 

 

*1:人生最後の日ならもっとおいしいものを食べたい、とか言ってるとお金がなくなるのでやりすぎには注意しましょう。

*2:スピノザは既に永遠だって言ってましたっけ?各自fact checkお願いします。